月給通知書
会社によっては「給与改定通知書」だったり「給与決定通知書」「賃金通知書」
その年度の月々の給料を社員に通達する”通知書”ですね。
多くの場合は4月、上司から昨年度の評価とともに直接手渡しされるかと思います。
家族のために頑張り、残業続きで好成績を上げた人はその日が待ち遠しですよね。
<もくじ>
『月給通知書』を保存した理由は?
これが最初の『月給通知書』☟
1994年の初任給。
27万円、結構な給料にみえますね。
社会人になったのは1989年(平成元年)。
その後5年間で2回の転職を経験しています。
そして
1994年、この会社(製薬会社)に入社したのです。
それまで研究関連一筋で、開発は素人の私。
それでも在籍年数は4年で算定してくれたんですね。
当時の思い出があります。
転職の最終面接は役員(専務)との面接でした。
役員の宿泊している都内のホテルのレストランに呼ばれ、自分では到底注文できない高そうなすき焼きをごちそうになりました。
その時、大阪の本社で採用するとの説明でした。
わがままにも東京でないと入社しないと専務に伝え、その頃の自分なりの夢を語った事も好感を持たれたようです。
この『月給通知書』
1994年に入社してからFIRE(セミリタイア)した2019年までの25年間の全てを保管しています。
なぜ『月給通知書』を大事に保管していたのか?
そこにはある思いがありました。
それは
3度目の転職はしないと決めたこと。
その時には漠然とはしていましたが
60才まで会社員をするつもりはありませんでした。
そのため
会社員生活が終わった時
会社員だった頃の成績表である『月給通知書』をながめサラリーマン人生を振り返ってみたい。
そういう思いがありました。
当時はFIREとか概念はありません。
28才の私は1年でも早く自由になり自分らしく生きたい!
そういう願いが強かったんですね。
25年分の『月給通知書』を眺めてみて
この『月給通知書』
1994年から2019年までの25年分を並べてみました。
最後の『月給通知書』は初任給から21万円ほど増えていました。
ほとんどの年で数千円、50才以降は500円の昇給でした。
多い年は10万円くらい昇給しています(管理職になった時)。
年度初めにハードルの高い目標を掲げ、それをクリアした場合はB評価でした。
それでも1000円しか昇給しない年があったわけです。
年に1万円足らず、よく耐えましたね。
ほめてあげたい。
*給料は少なめに見えるかもしれません。
それは勤めていた会社ではボーナスの比重が高かったためです。
あの頃のぼんやりした決意、いまだに記憶にあります。
そして25年後、それが現実になったんです。