大学受験に失敗!
コンプレックスです。
50代半ばになった今でも、時々鋭利なナイフで胸を軽く突かれたような心の痛みを覚えます。
一生消える事はないでしょう。
しかし
その劣等感が気持ちの一番深い所に居座っていたからこそ
人生の成功者にはなる!
その思いは人一倍強かったと思います。
54才
念願通りセミリタイアに成功し、自由な時間を手に入れ
”ぼっちキャンプ”や格安旅行を楽しめる生活を送っています。
赤裸々に『大学受験に失敗』を中心に自分の半生を振り返ってみます。
簡潔に書いたつもりですが、結構長い記事になってしまいました。
『大学受験に失敗』された方へ、少しでも励みになればと思っています。
可能なら
同じわだちを踏まない道しるべにもなれば。
<もくじ>
暗黒の「高校時代」
小学生、中学生と順風満帆な子供時代でした。
運動も勉強も良くできる子ども、学年に1人や2人いましたよね。
そのタイプ。
毎年10名ほどが国立大学へ進学する高校に入学したとたん、無気力感・虚脱感に襲われました。
振り返ると”燃え尽き症候群”だったのかもしれません。
机に向かっても気だるく、何も手につかず1時間も集中できない状態。
1年の頃
それでも学年の10番内には入っていました。
疲れをためないように夜は早く寝て、朝型に変更したりもしました。
2年生になる頃
早朝に起きられなくなり、朝ご飯前に慌てて課題をこなして学校に行く日もありました。
3年生になる頃
さらに耳鳴りを発症。
毎回の試験で公開される100傑(100番までを掲示)から名前が消えた時はショックでした。
見かけは健康ですので、全盛期を知る友人も心配するほど。
3年生の後半
栄養ドリンクを飲み、気力を振り絞る毎日でした。
希望する大学にもう少しで手が届くレベルまで戻してきました。
ところが・・・眠い
今でも忘れません。
3年間の集大成である共通一次試験(現在のセンター試験)
その1日目の昼食後、急に強い眠気に襲われ、一番力を入れてきた科目である国語はアクビをしながら終わってしまいました。
窮地に追い込まれたと自覚した事は鮮明に記憶ありますが、試験2日目以降の事はほとんど覚えていません。
当然ながら試験は散々な結果でした。
あれだけ頑張ったのに、一番大事な場面で取り返しのつかない大失敗。
精神的に危なかったと思います。
卒業式はどうな様子だったのか?
国立の2次試験を受験した事は記憶にありますが、受験会場までのルートやどこに泊まったかなど全く覚えていません。
追い詰められながらも二次募集の私立大学を探し、いくつか受験した事は覚えています。
受験勉強をもう1年やる気力は残っておらず
浪人したら、たぶん大学に行くことはないだろうな
それだけは確信していました。
望んだ大学ではありませんでしたが、なんとか大学には合格。
入学するかどうかはギリギリまで悩みました。
大学に通いながらの浪人(当時”留浪”と呼んでいました)を決意したのです。
鎖から放たれた「大学時代」
コロナ禍の学生さんには想像もつかないと思いますが、大学生活はそれは楽しかった。
友人が一人できるとその輪が広がり、知り合いがドンドン増えていく。
同級生の中には
旧帝大を狙える試験結果にも関わらず、3浪で確実性を選んだ地元の人。
九州でも屈指の進学校からこの大学にきた人。
事情は違うけど、辛い思いをしているのは自分だけじゃない事を知りました。
サークルに入り異性との交流も増え、アルバイトで稼いだお金でボロボロの中古車を買う事もできるようになり、いつしか”留浪”の決意は弱くなっていました。
ただただ、学園祭やコンパ、サークルに没頭した1年目。
大学2年になると
あの体の気だるさは嘘のように無くなっていました。
友人と語らい、酒を飲みながらくだらない議論をして、自分をさらけ出す事で呪縛から解放されたのかしれません。
体が健康になると一度は消滅したはずですが
勉強したい、本気で研究をしたい!!
そんな思いが入道雲のようにモクモクと沸き上がってきました。
2回目の夏を迎える頃
希望の大学に行けなかった悔しさから、大学院に行くことを決意しました。
そこからは10時間以上の勉強の毎日。
今度こそは希望の大学院に入るため、図書館で夜遅くまで頑張っていました。
人生で一番勉強した時期です。
人生で一番勉強した「大学2年半」
余談ですが・・・
大学3年の頃
学部内(数百人が在籍)である噂がありました。
夕方や週末に自衛隊が学内を図書館方面に歩いていると。
当時は誰でも許可なく大学へ出入りできましたので不思議ではありませんが、自衛隊が来るわけもありません。
当時友人と大笑いしましたが、ソレは”私”でした。
週末や実験を終えての帰宅後、迷彩色のトレーナーを普段は身に着けて、図書館で勉強していました。
遠目では自衛隊の服に見えます。
夢、また叶わず・・・
大学院の受験ですが、難関の旧帝大に決めました。
どの大学も受験科目は専門科目・英語・ドイツ語
英語は文献(論文)のサマリーが10個ほどあり、全て日本語に訳します。
専門科目(生化学等)と英語は合格できるレベルまで達した感触は持てました。
でも・・・
大学3年が終わる頃になっても、どうしてもドイツ語が納得できるレベルまで到達しません。
4年の春
希望進学先(旧帝大)を諦めました。
専門科目(生化学等)と英語だけで受験できる旧帝大レベルの研究ができる国立大学(A大学)に目標を変更しました。
受験で「ひと騒動」
大学院受験ですが、通っていた大学の大学院も受験しトップ合格できました。
1人だけ申請できる給付型奨学金(返金不要)の権利を得ました。
ところが、希望したA大学の大学院受験は不合格
当時の大学院受験は1年に2回(8月と2月)。
受験したA大学の教授からは8月の1回だけ受験を許可されていたので、通っていた大学の大学院へ行く選択肢しか残っていません。
A大学の研究室の受験希望者は2名募集に対し3名でした。
幸運だったのは合格者が1名のみだった事。
私の試験結果(英語合格、専門科目3点不足)の事。
落胆していた私にある日
これらを考慮された教授から再受験を許可する旨の手紙が届きました。
年明け2月
私とA大学のBさん(不合格だった人)が再受験し、一つの椅子を競うことになりました。
通っていた大学の研究室ですが、こちらも合格者は最大2名まで。
大学院希望者は3名でしたので1人が落ちます。
私と友人が合格し、3番目は不合格となりました。
落ちた友人(地元のお坊ちゃま)は泣いていました。
私がA大学を再受験する事を知り、その友人に椅子を開けてくれないか懇願されました。
A大学の2回目の受験で合格できたら、通っていた大学の大学院進学を辞退するつもりでした。
でもそれは同時に
不合格だった友人は再チャレンジはできないと言う事を意味します。
不退転
人生には覚悟すべきタイミングが、時より大小さまざまですが訪れます。
時にはその波にのまれ深い傷を負ったりしたこともありましたが、今思うのはそれでもチャレンジはした方が良いと言う事。
退路を断ち、通っていた大学の大学院進学は辞退しました。
そして給付型奨学金は私の友人が手にしました。
もうA大学に合格する道しか残っていません。
極度の恐怖心と戦いながら、さらに半年間を必至に過ごしました。
何とかA大学に合格し、大学院では希望の研究を2年間没頭できました。
お気づきだと思いますが
私がA大学に合格した(得点が高かった)ので3人目(Bさん)は不合格。
彼は製薬メーカーの研究室への就職が決まりました。
10数年後、彼と再開することになります。
人生は非情「サラリーマン時代」
実は大学院時代も苦労したんです。
当時、遺伝子組み換えの研究が色々試みられていた時代。
逆転写(RNAからDNAを作る)が研究目的でした。
ところが
必要とするDNAの遺伝子組み換えが1年経っても成功できない。
いくら難しい本や論文を片っ端から読んでも、成功できませんでした。
2年目の夏
試行錯誤の末ようやく成功(文献に一段大事な事は書いてない)。
野球であれば9回2アウトからの満塁ホームラン
目的の研究は秋口には完了させ、修士論文を作成させる事ができました。
その結果は卒業後に学会で発表し、また英語論文にする事もできました。
平成元年(1989年)に大学院を無事卒業し
令和元年(平成31年)までの30年間、サラリーマン(研究者・開発)に従事しました。
当時は周りがビックリするでき事でしたが、20代で転職を2回体験しています。
やらなかった事を後悔するより、やった事を後悔する方がいい!!
諦めがつくからです。
2回目の転職先である製薬会社(最後に努めたC会社)に入社して10年が経とうとする頃、関連会社の医薬品部門が親会社(最後に努めたC会社)に吸収される事になりました。
その中になんと私と入れ替わりに大学を去ったBさんがいました。
さらに大学院時代の私のメンター(1学年上のD先輩)も私の会社へ異動。
(D先輩は大学院卒業後、Bさんと同じ会社の研究所に入社していました)
Bさんは他部門ですが、同じビルの上と下。
D先輩は私と同じ医薬品開発部に所属され、一時期は私が教育担当(メンター)として指導する立場になりました。
人生、何が起きるかわかりません!
念願の「FIRE」
30代から投資(貯蓄や株式投資など)をスタートさせました。
40代後半になると
リーマンショックなど株の暴落が起きると仕事が手に着かなかったり、寝られなかったりと自分には不向きだとわかり、ストック収入へ投資先を変更しました。
年号が平成から令和に変わる事が決まった頃、会社員生活に区切りをつけようと決心したのです。
平成の30年間をサラリーマンとして過ごしました。
伝えたい事は!
受験や仕事に失敗しても、命までは取られない!
起死回生、捲土重来のチャンスは絶対に訪れます。
その少ない機会を手に入れるための努力は継続しなければなりません。
誰も与えてはくれませんので。
『失敗』した時
私もそうだったように本人は人生の終わりのように感じます。
冷静さを取り戻したり
後々振り返ってみると『失敗』を糧にしていたと気づくものです。
人生100年時代
これからも好まずとも波乱万丈な場面に出くわすでしょう。
自分は乗り超えられる
その自信だけは持ち続けたいと思います。